some_thing ⑤
つづき、です。
あと一回で終わるといいな……
想兄ちゃんに電話をするのは、実はそんなに多くなかった。
近況とか世間話みたいなのは僕も想兄ちゃんもあんまり話すタイプじゃないし、何か用事があるとするなら、それぞれの得意分野についての相談事で、そういうのも電話よりも会って話す方が楽だからと、アポを取るくらいしか連絡をしなかった。
想兄ちゃんがアメリカに帰ってからは、以前よりも連絡を取り合うことが減った。今日の明日、のように気軽に会える距離でもなくなったし、想兄ちゃんがそういう調べ物を依頼してくることもほぼなくなったし。
どちらかというと、優姉ちゃんの方と話をすることが増えたような気がする。優姉ちゃんが電話をかけてくる回数が、すごく増えた。
きっと水原さんと想兄ちゃんに何かがあって、それで想兄ちゃんが帰国して、優姉ちゃんがどういうことか解らないまま困ってる、だから僕に愚痴るために電話する、という図式が出来上がっていたんだな、と今なら解る。
何も知らない方が良かった気もするし、知った今は何とかしないといけない気がする。
「……大丈夫? ここのところ、ずっと難しい顔をしてるけど」
遊びに来ていた七瀬さんが、心配そうに僕に声をかけた。
七瀬さんには何も話してはいない。話していいことかも解らなかったから。でも、だからと言って七瀬さんに対して誤魔化す、という選択肢は無かった。七瀬さんはそういうのをすぐに見抜いてしまうタイプだから。
「うん。難しい。どうしたらいいんだか解らないんだ」
素直に僕が弱音を吐くと、彼女はやっぱり、と儚げに笑う。
「森羅が悩むってことは、少しでもいい方向に持っていきたい問題だってことだね」
「解る?」
「解るよ。森羅は優しいから」
七瀬さんは、必要以上に立ち入らない。
ただ僕の話を静かに聞いてくれる。
だから僕は、素直に思ったことを口にする。
「想兄ちゃんに話さなきゃいけないことがあるんだ。でも、すごくプライベートなことだから、どこまで言って良いのか解らない」
水原さんの事。僕の甥にあたる子の事。
二人の付き合いについては口出しをする権利はないけれど、どうしても文句を言ってやりたい気持ちになった。
水原さんも勝手だけれど、彼女が連絡してないからと言ってその後全然連絡したり様子を見に来たりしない想兄ちゃんもすごく勝手に思う。
「燈馬さんのことなら、水原さんに頼んだらいいんじゃない?」
「その、水原さんの事で話したいことがあるんだ」
そこまで言いかけて、口をつぐむ。
どうしたらいいのか自分でも消化しきれていないのに、このまま言ったら七瀬さんにも迷惑がかかりそうな気がする。
でも、僕が言葉を濁した事で何かを察したらしかった。
「……悩むより、話しながら考えた方がいいんじゃない? 言っちゃったら言っちゃったで、多分なんとかなるよ」
ごちゃごちゃ悩みすぎて動きが取れなくなっていた僕に、はい、と七瀬さんは電話機を渡してきた。
「プライベートって言っても、森羅と燈馬さんは従兄弟でしょう? ある程度踏み込んでもきっと怒られないと思う……というか、言ってあげられるのは、森羅だけじゃない?」
ね、と首を傾ける彼女から、僕は電話をそっと受け取る。
言ってあげられるのは、僕だけ。
優姉ちゃんも、多分事情を知らない。知ってしまったのは、僕だけ。
それなら、僕のすべきことは。したいことは。
電話帳から、想兄ちゃんの名前を選んで通話を押す。
七瀬さんは席を外そうとしたけれど、僕が手だけで引き留める。一人では暴走してしまいそうな気がしたから。
七瀬さんは理解してくれたのか、黙って僕の隣に腰掛けて、事の成り行きを一緒に見守ろうと一つ大きく頷いた。
コール音に耳を傾けながら、差しだしてくれた手を、僕はぎゅっと握りしめる。
機械的な音が鳴り続く。三回、四回。
がちゃ、と繋がる音がする。
僕は待てずに先に声を掛けた。
「想兄ちゃん、ひさしぶり」
「森羅か。久しぶり」
僅かに遠い声。あまり気にしたことはなかったけれど、想兄ちゃんの声は静かで落ち着いている。いつでも想兄ちゃんは冷静で、大事な話であればあるほど感情を表に出すことはなかった。
……あんなコトをしておいて、どうしてそんなに普通でいられるんだろう。
知らないから当たり前なんだけど、理不尽なんだけど、僕は想兄ちゃんの声になんだかイラついた。
「水原さんに、この前久しぶりに会ったんだけど」
「……そう」
水原さんの名前を出しても反応が薄くて。余計に僕は腹が立つ。
「気にならないの? 元気だったかとか、どこで会ったんだとか、変わりないか? とか」
「何かあれば水原さん本人じゃなくても、警部や知り合いが知らせてくれるだろうから、少なくとも重大な何かは無いはず」
「心配じゃないの?」
「水原さんの事だから、きっと元気にやってるだろ」
「元気じゃなかったらどうすんのさ?」
「四六時中元気な人間は居ないよ。生きている限りは風邪を引いたり怪我をしたりする」
始終感情的にもならないでただ淡々と話す声と対称に、僕は段々胸が苦しくなってきて声が自然と大きくなる。
我慢出来なくて叫び出しそうになる瞬間、隣の七瀬さんが、僕の手を握り返した。静かに、僕の顔を見ながら首を振る。
感情的になったら、伝えることさえままならない。冷静に、僕の役割を、したいことを思い出した。
「ねぇ想兄ちゃん……今でも水原さんの事好き?」
「いきなりどうしたの? ……森羅らしくない」
「訊いてるんだけど。ねぇ。今でも好き?」
僕の言葉にはまだ棘が残ってる。けれど想兄ちゃんのように淡々と、確かめなければいけない事実を確認する。
水原さんは、想兄ちゃんを困らせたくないから教えない。全部自分の責任だ、と思ってる。
もし想兄ちゃんに気持ちが無いなら、僕が教えることで余計にゴタゴタさせてしまうかもしれない。このタイミングで教えなくても、あの子がある程度大きくなってから事務的に淡々と話を進めた方が上手くいくのかもしれない。
でも、もし。想兄ちゃんが水原さんを好きなままなら。今の状況は歪んでるから糺したい。
水原さんも無理してるように見えるし、想兄ちゃんだって無理してる。何よりも、二人の間に生まれたのに何も知らないあの子が宙ぶらりんに思えて。
……そこまで考えて、ようやく僕は、どちらのためでもなく甥に当たるあの子に対して感情を動かされてたんだと知った。
想兄ちゃんによく似たあの子と、血縁上の父親を知らない僕を重ね合わせていたんだと、気が付いた。
「……解らないんだ、人を好きになる感覚が」
長い沈黙の後、想兄ちゃんがぽつりと呟いた。
好きになる感覚が解らない。
どういうことなのか理解出来なくて無言のままでいると、静かな調子のまま、ぼそぼそと、想兄ちゃんは言葉を続けた。
「それがロキやエバや……友達に向ける感情とどう違うのか、未だに明確に認知できない。だから、好きかどうか聞かれても、好きではあるけど、その好きが正解かどうか解らない」
好きに種類があるんだろうか。ただ単純に好きではだめなんだろうか?
「好きって気持ちだけじゃダメなの? 説明出来ないとそれは好きってことにならないの?」
素直に言葉に表すと、想兄ちゃんは「そんなことは」と言葉を濁した。
好きなものは好きと言っていいじゃないか。そうしたら、好き合ってるんだから何も問題がないのに。好きの気持ちが信じられなくて苦しまなくてもいいし、愛情をめいっぱい注いで上げられるのに。
何でか解らないけれど、僕の目から、涙がぼろぼろとあふれ出てきた。
僕は、母さんにも父さんたちにも両手で抱えきれない程の愛情を与えられて生きてきたから、愛情に飢えたことはなかった。たとえ父親が誰だか知らなくても、皆が愛してくれたから、不安も何も感じなかった。きっとすごく恵まれていた。僕は、幸せ者だった。
でも、あの子はどうだろうか。
水原さんや周囲の人の愛情を疑ってるわけじゃない。だけど、父親が解っていて、僕や、優姉ちゃんや七瀬さんや、皆が愛してくれるだろうことが解っているのに、それを受けられないのはとても理不尽な気がするんだ。あの子だって、幸せになる権利はあるはずなのに。
「ねぇ……想兄ちゃんはどうしたい? このままでいいの? 水原さんは、今もまだ、想兄ちゃんの事好きだよ」
涙声のまま、僕は囁く。
「……なんで、森羅に解るの?」
「解るよ。そうじゃなかったら『諦める』なんて言わないもん」
はっと、息を飲む音がした。
諦める、という単語に、想兄ちゃんは反応したようだった。
また言葉を失って、静寂が支配する。
想兄ちゃんは、何か気付いたんだろうか?
「二人に何があったか知らないけど。でも……どうしても、黙ってられなかった……気になるんなら自分で水原さんに会いに行ってみれば?」
僕はあの時、水原さんに諦めるなって言いたかった。諦めたら、そこで終わっちゃうのに。
だから、諦めなくていいんだってことを、想兄ちゃんから示してくれるといい。そしたら、きっとみんなが幸せになれる。
返事がないまま、僕は通話を一方的に切った。流れるままの涙は止まらなくて、七瀬さんがずっと、心配そうに拭ってくれていた。
声は震えるまま、止まらない。
だから僕は衝動のまま、七瀬さんの肩を借りて、声を上げた。
静かに背を撫でてくれる手が、優しい。
「言いたいことは、山ほどあったんだ。だけど……僕が言うことじゃないと、思って……」
「我慢したんだ……偉いね」
七瀬さんは、僕が泣き止むまでずっと側で抱きしめてくれていた。何もまだ話していないのに、何も聞かないまま、ただ、ずっと、寄り添ってくれた。
「七瀬さん、今度……一緒に水原さんの所に行こう。想兄ちゃんがちゃんと向き合い終わったら……教えたいことが、あるんだ」
僕が途切れ途切れにそう言うのを、七瀬さんは肩越しに聞いて、また、大きく一つ頷いた。
あと一回で終わるといいな……
想兄ちゃんに電話をするのは、実はそんなに多くなかった。
近況とか世間話みたいなのは僕も想兄ちゃんもあんまり話すタイプじゃないし、何か用事があるとするなら、それぞれの得意分野についての相談事で、そういうのも電話よりも会って話す方が楽だからと、アポを取るくらいしか連絡をしなかった。
想兄ちゃんがアメリカに帰ってからは、以前よりも連絡を取り合うことが減った。今日の明日、のように気軽に会える距離でもなくなったし、想兄ちゃんがそういう調べ物を依頼してくることもほぼなくなったし。
どちらかというと、優姉ちゃんの方と話をすることが増えたような気がする。優姉ちゃんが電話をかけてくる回数が、すごく増えた。
きっと水原さんと想兄ちゃんに何かがあって、それで想兄ちゃんが帰国して、優姉ちゃんがどういうことか解らないまま困ってる、だから僕に愚痴るために電話する、という図式が出来上がっていたんだな、と今なら解る。
何も知らない方が良かった気もするし、知った今は何とかしないといけない気がする。
「……大丈夫? ここのところ、ずっと難しい顔をしてるけど」
遊びに来ていた七瀬さんが、心配そうに僕に声をかけた。
七瀬さんには何も話してはいない。話していいことかも解らなかったから。でも、だからと言って七瀬さんに対して誤魔化す、という選択肢は無かった。七瀬さんはそういうのをすぐに見抜いてしまうタイプだから。
「うん。難しい。どうしたらいいんだか解らないんだ」
素直に僕が弱音を吐くと、彼女はやっぱり、と儚げに笑う。
「森羅が悩むってことは、少しでもいい方向に持っていきたい問題だってことだね」
「解る?」
「解るよ。森羅は優しいから」
七瀬さんは、必要以上に立ち入らない。
ただ僕の話を静かに聞いてくれる。
だから僕は、素直に思ったことを口にする。
「想兄ちゃんに話さなきゃいけないことがあるんだ。でも、すごくプライベートなことだから、どこまで言って良いのか解らない」
水原さんの事。僕の甥にあたる子の事。
二人の付き合いについては口出しをする権利はないけれど、どうしても文句を言ってやりたい気持ちになった。
水原さんも勝手だけれど、彼女が連絡してないからと言ってその後全然連絡したり様子を見に来たりしない想兄ちゃんもすごく勝手に思う。
「燈馬さんのことなら、水原さんに頼んだらいいんじゃない?」
「その、水原さんの事で話したいことがあるんだ」
そこまで言いかけて、口をつぐむ。
どうしたらいいのか自分でも消化しきれていないのに、このまま言ったら七瀬さんにも迷惑がかかりそうな気がする。
でも、僕が言葉を濁した事で何かを察したらしかった。
「……悩むより、話しながら考えた方がいいんじゃない? 言っちゃったら言っちゃったで、多分なんとかなるよ」
ごちゃごちゃ悩みすぎて動きが取れなくなっていた僕に、はい、と七瀬さんは電話機を渡してきた。
「プライベートって言っても、森羅と燈馬さんは従兄弟でしょう? ある程度踏み込んでもきっと怒られないと思う……というか、言ってあげられるのは、森羅だけじゃない?」
ね、と首を傾ける彼女から、僕は電話をそっと受け取る。
言ってあげられるのは、僕だけ。
優姉ちゃんも、多分事情を知らない。知ってしまったのは、僕だけ。
それなら、僕のすべきことは。したいことは。
電話帳から、想兄ちゃんの名前を選んで通話を押す。
七瀬さんは席を外そうとしたけれど、僕が手だけで引き留める。一人では暴走してしまいそうな気がしたから。
七瀬さんは理解してくれたのか、黙って僕の隣に腰掛けて、事の成り行きを一緒に見守ろうと一つ大きく頷いた。
コール音に耳を傾けながら、差しだしてくれた手を、僕はぎゅっと握りしめる。
機械的な音が鳴り続く。三回、四回。
がちゃ、と繋がる音がする。
僕は待てずに先に声を掛けた。
「想兄ちゃん、ひさしぶり」
「森羅か。久しぶり」
僅かに遠い声。あまり気にしたことはなかったけれど、想兄ちゃんの声は静かで落ち着いている。いつでも想兄ちゃんは冷静で、大事な話であればあるほど感情を表に出すことはなかった。
……あんなコトをしておいて、どうしてそんなに普通でいられるんだろう。
知らないから当たり前なんだけど、理不尽なんだけど、僕は想兄ちゃんの声になんだかイラついた。
「水原さんに、この前久しぶりに会ったんだけど」
「……そう」
水原さんの名前を出しても反応が薄くて。余計に僕は腹が立つ。
「気にならないの? 元気だったかとか、どこで会ったんだとか、変わりないか? とか」
「何かあれば水原さん本人じゃなくても、警部や知り合いが知らせてくれるだろうから、少なくとも重大な何かは無いはず」
「心配じゃないの?」
「水原さんの事だから、きっと元気にやってるだろ」
「元気じゃなかったらどうすんのさ?」
「四六時中元気な人間は居ないよ。生きている限りは風邪を引いたり怪我をしたりする」
始終感情的にもならないでただ淡々と話す声と対称に、僕は段々胸が苦しくなってきて声が自然と大きくなる。
我慢出来なくて叫び出しそうになる瞬間、隣の七瀬さんが、僕の手を握り返した。静かに、僕の顔を見ながら首を振る。
感情的になったら、伝えることさえままならない。冷静に、僕の役割を、したいことを思い出した。
「ねぇ想兄ちゃん……今でも水原さんの事好き?」
「いきなりどうしたの? ……森羅らしくない」
「訊いてるんだけど。ねぇ。今でも好き?」
僕の言葉にはまだ棘が残ってる。けれど想兄ちゃんのように淡々と、確かめなければいけない事実を確認する。
水原さんは、想兄ちゃんを困らせたくないから教えない。全部自分の責任だ、と思ってる。
もし想兄ちゃんに気持ちが無いなら、僕が教えることで余計にゴタゴタさせてしまうかもしれない。このタイミングで教えなくても、あの子がある程度大きくなってから事務的に淡々と話を進めた方が上手くいくのかもしれない。
でも、もし。想兄ちゃんが水原さんを好きなままなら。今の状況は歪んでるから糺したい。
水原さんも無理してるように見えるし、想兄ちゃんだって無理してる。何よりも、二人の間に生まれたのに何も知らないあの子が宙ぶらりんに思えて。
……そこまで考えて、ようやく僕は、どちらのためでもなく甥に当たるあの子に対して感情を動かされてたんだと知った。
想兄ちゃんによく似たあの子と、血縁上の父親を知らない僕を重ね合わせていたんだと、気が付いた。
「……解らないんだ、人を好きになる感覚が」
長い沈黙の後、想兄ちゃんがぽつりと呟いた。
好きになる感覚が解らない。
どういうことなのか理解出来なくて無言のままでいると、静かな調子のまま、ぼそぼそと、想兄ちゃんは言葉を続けた。
「それがロキやエバや……友達に向ける感情とどう違うのか、未だに明確に認知できない。だから、好きかどうか聞かれても、好きではあるけど、その好きが正解かどうか解らない」
好きに種類があるんだろうか。ただ単純に好きではだめなんだろうか?
「好きって気持ちだけじゃダメなの? 説明出来ないとそれは好きってことにならないの?」
素直に言葉に表すと、想兄ちゃんは「そんなことは」と言葉を濁した。
好きなものは好きと言っていいじゃないか。そうしたら、好き合ってるんだから何も問題がないのに。好きの気持ちが信じられなくて苦しまなくてもいいし、愛情をめいっぱい注いで上げられるのに。
何でか解らないけれど、僕の目から、涙がぼろぼろとあふれ出てきた。
僕は、母さんにも父さんたちにも両手で抱えきれない程の愛情を与えられて生きてきたから、愛情に飢えたことはなかった。たとえ父親が誰だか知らなくても、皆が愛してくれたから、不安も何も感じなかった。きっとすごく恵まれていた。僕は、幸せ者だった。
でも、あの子はどうだろうか。
水原さんや周囲の人の愛情を疑ってるわけじゃない。だけど、父親が解っていて、僕や、優姉ちゃんや七瀬さんや、皆が愛してくれるだろうことが解っているのに、それを受けられないのはとても理不尽な気がするんだ。あの子だって、幸せになる権利はあるはずなのに。
「ねぇ……想兄ちゃんはどうしたい? このままでいいの? 水原さんは、今もまだ、想兄ちゃんの事好きだよ」
涙声のまま、僕は囁く。
「……なんで、森羅に解るの?」
「解るよ。そうじゃなかったら『諦める』なんて言わないもん」
はっと、息を飲む音がした。
諦める、という単語に、想兄ちゃんは反応したようだった。
また言葉を失って、静寂が支配する。
想兄ちゃんは、何か気付いたんだろうか?
「二人に何があったか知らないけど。でも……どうしても、黙ってられなかった……気になるんなら自分で水原さんに会いに行ってみれば?」
僕はあの時、水原さんに諦めるなって言いたかった。諦めたら、そこで終わっちゃうのに。
だから、諦めなくていいんだってことを、想兄ちゃんから示してくれるといい。そしたら、きっとみんなが幸せになれる。
返事がないまま、僕は通話を一方的に切った。流れるままの涙は止まらなくて、七瀬さんがずっと、心配そうに拭ってくれていた。
声は震えるまま、止まらない。
だから僕は衝動のまま、七瀬さんの肩を借りて、声を上げた。
静かに背を撫でてくれる手が、優しい。
「言いたいことは、山ほどあったんだ。だけど……僕が言うことじゃないと、思って……」
「我慢したんだ……偉いね」
七瀬さんは、僕が泣き止むまでずっと側で抱きしめてくれていた。何もまだ話していないのに、何も聞かないまま、ただ、ずっと、寄り添ってくれた。
「七瀬さん、今度……一緒に水原さんの所に行こう。想兄ちゃんがちゃんと向き合い終わったら……教えたいことが、あるんだ」
僕が途切れ途切れにそう言うのを、七瀬さんは肩越しに聞いて、また、大きく一つ頷いた。
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