ジューンブライド ⑥
加筆しながら書いたので唐突になってるかもしれませんが(滝汗
こっちに上げるのすっかり忘れてたので貼り貼り。
鞄から、指輪の入ったケースを取り出して見る。
開けると中には銀色のリングと折りたたまれた白い紙。
未だ十数回しか指を通していない指輪は細かい傷などありはしない。
対して、燈馬君の指に填まっていた指輪を思い出す。本を読んでいるときも、パソコンを使っているときも、私と手を繋ぐときもずっと身につけていた指輪。
私が、
「傷つくのが勿体ないから最低限でしか着けたくないよ」と溢したら、
「指輪ってそういうものでしょう?」と笑って左手を差し出してみせた、その銀の輪。
外す理由がないからと、ずっと填めたままのそれは、綺麗ではあったけれど、やっぱり微かに擦れた痕があった。
「こうやって思い出が刻まれていくんですよ」
あぁ、そういう考え方もあるんだなぁと、私はそのときになるほどなぁ、と思った覚えがある。
私は、燈馬君の指輪のように、燈馬君に寄り添って思い出を刻んでいただろうか?
できる限りは側に居た。けれどそれは本当に、『水原可奈』という存在としてのできる限りだった。『燈馬可奈』として……妻としてではない。
お互いに納得してるからそれでいいと思ってた。でも思い出してみると、急に、羨ましくて、悔しくなってきた。
私は思い出を一緒に刻む機会を与えられていたのに、それをむざむざと捨てていたんだ。綺麗なままの指輪が、余計にそれを思い知らせる。
もっと早くに気付いていれば、こんな一年も遠回りしなかったのに。燈馬君を苦しめなかったのに。きっと、もっと楽しかったのに。幸せだったのに。
何度も開いては閉じてを繰り返し、折り癖が薄くなった紙をカサカサとまた開く。
並んだ名前をまた指でなぞる。
私は、未練がましく何度も何度もこうやっていたじゃないか。それが一番の証明じゃないか。
本当は、もうずっと燈馬君と一緒に居たかった。
『妻』になれて嬉しかった。
燈馬君が『夫』で嬉しかった。
苦さが胸に込み上げてくる。
何で私は意地を張って、自分の気持ちを我慢して、考えないようにしていたんだろう。
燈馬君の為だって理由をつけて。本当は、燈馬君もそんな私のために我慢してくれてたっていうのに。
さっきのキスを思い出す。
それだけじゃなくて、今まで親愛の気持ちだと思ってた軽いヤツもひっくるめて考える。
それには、本当に疚しい気持ちはこもってなくて純粋に友情しか入ってなかったか? と考えてみる。……そんなの、絶対違うに決まってるじゃん。
他の人に嫉妬して……燈馬君は私のだと見せつけたくて、そういう気持ちから始めたものだもの。
受け入れてくれて嬉しくて……燈馬君が好きで。だから、何度も出来た。文化がどうだか、なんて体の良い言い訳だ。
唇へのキスもそうだ。燈馬君に好きって言って貰えるといい、という下心が無かったワケじゃない。
もうずっと、私の結論は出ていたんだ。
ただ、自分で認めていなかっただけで。
そのせいで、燈馬君に対して煮え切らない態度を取っていたんだ。
…━━…━━…━━…━━…━━━━…
申し訳なくて。謝りたくて。
だけど、顔を合わせるのも気まずくて。
私は燈馬君の寝室の前に立つと、僅かに躊躇をした。
きっと、お互いに冷静になってから話した方が建設的だ。うまく行くだろう。そう解ってても、やっぱり謝るまでは気持ちは晴れない。
意を決してコンコンとドアを叩く。
けれど、中からは何も聞こえない。
でも燈馬君は玄関から出て行っていないから、この部屋に居るはずなんだ。
私は仕方なしに、ドアを背にして、その場に座り込んだ。このまま、ドアの向こう側に聞こえるように。……もしかしたら、寝ているかもしれないから、独り言のように、私は、気持ちを呟くことにした。
「ごめん。私、気付かないフリしてた」
声が、広い屋敷に反響せず、そのまま本の海に吸い込まれていく。
燈馬君からの返事は無い。
聞こえているかも解らないけど、私はそのまま気にせず続ける。
「気がついちゃったら、もう今のままの二人じゃいられないだなって、多分、無意識レベルでそう思ってた」
考えよう、仮定しようという頭が無かった。考えたらあっという間に解ったのに。燈馬君はずっと、それを解ってたから気遣ってくれてたんだよね。
「意識なんか改めてしなくたって、私達はもう家族みたいで姉弟みたいでそういう関係にならなくたって気の置けない関係のままだって、大丈夫だって、許されるって思ってたんだ。……燈馬君に甘えてたんだよね、私」
燈馬君が何も言わないのを良いことに、勝手に思い描いていた関係をでっち上げちゃって。
燈馬君が付き合ってくれてたからこそ成り立つ関係だったのに。
一方的に、燈馬君に負担をかけるだけの関係だった。私は、口では燈馬君に負担をかけたくないなんて言っていたのに。なんてバカだったんだろう。重荷になる方向性が違っていた。だから余計に、燈馬君を傷つけた。
「……沢山傷つけちゃってごめん……無神経でごめん……」
ごめん、ごめんね、と言葉が零れる度に、喉が狭まってくる。苦しい。胸が痛い。謝っても謝っても足りる気がしない。
そのうち、ぼろぼろ涙が決壊して溢れてくる。女って狡い。こういう時にいとも簡単に涙が出て来る。泣きたいわけじゃないのに、謝りたいだけなのに、勝手に。
気がつくと、謝る声に嗚咽が入っていた。ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら謝る様子は、まるでいたずらをして怒られた子どもだ。
許して貰えるまで泣き続ける、なんてマネはさすがにしたくない。我に返った私は、一生懸命に呼吸を整える。
……こんなに大騒ぎをしても燈馬君は出てこないから、もしかしたら本当に呆れちゃって、愛想を尽かされちゃったのかもしれない。
でも、もう、それでもいいと思った。
悪いのは私だ。ずっと気を持たせるような素振りで振り回してきたのは私なんだ。疲れちゃうのは当たり前だ。
「……でもね」
掠れる声で、思わず私の本音が零れた。
「やっぱり私、燈馬君が好きなんだ」
いつも冗談のように言ってたけど、そういう好きでは無くて。なんて言ったら伝わるのか解らないけれど。
「何にも知らないし、解ってないし、バカだし、自分勝手だし……ほんともう、呆れられても当たり前なんだけど……手遅れかもだけど……燈馬君の事、大好きなんだ……」
ホントもう、今更だ。
許して貰えるとも思えない。だって、ずっと苦しめてきたんだから。
でも、藁にも縋る思いで、自分勝手な願いをする。
「私、燈馬君の奥さん、やっても、いいかなぁ…………」
やっぱり、なんの返事はない。
そうだよね。
……こんなの、ムシがいい話だし……遅すぎるよね。
私は深呼吸をするように大きく吸って、大きく息を吐いた。いっぱい泣いたからか、目元はヒリヒリするし、胸も呼吸のしすぎで痛い感じがする。声も引き攣ったままだし、頭も酸欠でクラクラする。
まだ完全には呼吸は元に戻らないけれど、ずっとここに居座るワケには行かないから、なんとかよろけながらも立ち上がる。
これで、全部おしまい。
おままごとの夫婦ごっこも。
私の気がつくのが遅すぎた恋心も。
二人の友達としても関係も、全部。
全部、私が悪いんだ。だから、仕方が無い。
未練がましく、私はドアを一瞥し、手を置いた。
傷つけて、苦しませて、悲しませちゃって……本当ごめんなさい。
目を閉じて、私の気持ちが通じるようにと念を送った。瞬間。私はそのまま前に倒れ込んでバランスを崩した。
何が起こったのか、一瞬、訳がわからなかった。勢いよく、何かにぶつかった。そのまま支えられたから床に顔が叩きつけられることは無かったけれど、その代わり、大きな腕に抱き留められているのが解った。
ドアが開いて、私は倒れ込むように、燈馬君の胸に抱かれたようだった。
燈馬君はずっと、すぐ向こう側で私の話を聞いていてくれたらしい。何の物音も足音もしなかったから、きっとドアのすぐ側にずっと居たのだろう。
聞いていたなら返事の一つくらい寄越しても良いのにと、自分の所行は置いておいて私はちょっと毒づいた。
私が問答無用で押し入ってくるのを待っていたのかもしれない。だとすれば、そのまま帰ってしまうのは想定外で、慌てて出てきたというところだろうか。……なんだか、すごく可笑しい。
泣き疲れて、絶望して、真っ暗だった自分の気持ちがあっという間に色を変えていくのが解る。もう、すごい現金だ。バカみたい。
「僕の方こそ、いいんですか? 僕が水原さんの旦那さんで」
愛おしげに抱き寄せて、燈馬君は耳元でそう問う。私はもう、嬉しくて胸がいっぱいで何も言えなくなっちゃって、ただ何度も頷くことしか出来なかった。
……いいの? 私は燈馬君の奥さんやってもいいの? あんなにいっぱい傷つけたのにいいの?
請うように視線を向けると、燈馬君はにっこりと笑う。
「水原さんは知らないと思いますが、本当は僕、かなり嫉妬深いですよ。独占欲が強すぎちゃって束縛しちゃうかもしれません」
そんなの……知ってる。
意識してみたら、思い当たることなんていっぱいある。でも、そんな事を言ったら私だって嫉妬深いし束縛してる。だからあんな事を言い出したんだし。
「その割に相手にばかり合わせて自己主張をあまりしません。すぐに水原さんに選択権を委ねたり。逆に質問したり」
それも知ってる。
燈馬君は私に対して凄く甘いから何でもかんでも私次第にしてしまう。だから私は、それを逆に返せるくらいにならなきゃいけない。
だって、燈馬君が私を想ってくれてるのと同じくらい、私は燈馬君を想ってる。私だって、燈馬君の我が儘を聞いたりしたいことをさせてあげたい。
燈馬君は一言言う度に、私はうんうんと何度も首を縦に振る。まだ言葉が胸に詰まってしまっていて、なかなか思い通りに出てこない。本当に、許して貰えるなんて思ってなかったから。諦めてたから。一転したこの状況に、頭の中はごった返していた。
そんな凄い剣幕の私の様子に燈馬君は驚いたようで、眉根を寄せて困ったように笑っていた。
笑いながら、頭を撫でた。私が前に謝ったときと同じように、あやすように、そっと優しく。
「こんな男……凄く面倒臭いと思いますよ? それでも、水原さんはいいんですか?」
「いいの。……燈馬君がいいの」
ようやく言葉が出せるくらいに気持ちが落ち着いて、言いながらぎゅっと両手に力を込めた。
息をするのが難しいくらい、泣きそうに苦しくて、胸が締め付けられて……でも、すごく暖かくてずっと燈馬君に触れていたくて一緒に居たくて。
この感情の正体は、きっと『親愛』とは違う。『愛情』ってやつだ。……今更じゃなくて、これから積み上げていく感情なんだ。燈馬君と一緒に。
名前がついちゃえばあっけなく未知の物から身近な物になって腹に落ちる。
私は、知っていきたい。この感情も、それに付随するなにもかも。燈馬君が抱えている物であれば、全部知っていきたい。
「それでは、水原さん」
いつの間にか、燈馬君の手には私が持っていた指輪のケースが渡っていた。未だに入ったままの指輪を、燈馬君は恭しくケースから取り出した。
華奢な輪っかをそっと指で持ち、もう片方の手を、私に差し出してにっこりと笑う。
「僕と結婚してくれますか?」
折しも、今は六月で。私が馬鹿な思いつきを口走った日で。燈馬君の誕生月で。結婚式なんかももちろんしてなかったので。
ふと思ったのだ。
もしかしたら、このプロポーズを受けたら、ジューンブライドの御利益にありつけるのではないかとかそういう事を。そういうジンクスとかに傾倒しているつもりもないし私自身、信じると言うよりゲン担ぎみたいな心持ちなんだけど。
でも願いたい。誓いたい。
私はきっと、今一番幸せな花嫁なんだ。
「……うん、宜しく」
預けた左手の薬指に、大事に大事に仕舞い込んでいた指輪が填められる。傷の度合いは違うけれど、燈馬君と私と、おそろいの指輪。
これから先は、同じように思い出を刻みつけていきながら歳月を重ねていくんだろう。
そうして何年も何年も重ねていくうちに、回り道したことも諸々も、見分けがつかないくらいに紛れていっていつか笑い話に出来るようになるかもしれない。
私と燈馬君はもう一度、確認するようにキスをした。まるで誓いのキスをしているよう。
正真正銘、気持ちが通じてることををお互いに自覚しあってるから、余計にくすぐったい気持ちになる。
目を開けてそっと見つめ直すと、また燈馬君との顔の距離が近くなった。身体の距離も、境界線が無くなるくらいにすごく近い。
「あ、あの」
頭に血が上ってしまい、少しだけ怖じ気づいて、私はぽそっと呟いた。
「本当にイヤだったら実力行使に出るから……その……色々、気が回らないと思うけど……」
恥ずかしくて目を合わせているのがきつくて、きょろきょろと視線を移しながら言いあぐねているその意味を、燈馬君は雰囲気で悟ったらしい。
すごくいい笑顔で、私は彼の手足に捕らえられた。
「解りました」
色々理解されていると解ると物凄く恥ずかしい。早速実力行使に出たい気分になってくるのを必死で抑える。怖い、でも知りたい。その好奇心に意識を向けて、なんとか自分を鼓舞させる。
「お、お手柔らかに」
変にひっくり返る声で辛うじて私がそう言うと、
「頭に置いておきます」
燈馬君の唇が、言葉を紡ぎながら私に落ちてきた。
こっちに上げるのすっかり忘れてたので貼り貼り。
鞄から、指輪の入ったケースを取り出して見る。
開けると中には銀色のリングと折りたたまれた白い紙。
未だ十数回しか指を通していない指輪は細かい傷などありはしない。
対して、燈馬君の指に填まっていた指輪を思い出す。本を読んでいるときも、パソコンを使っているときも、私と手を繋ぐときもずっと身につけていた指輪。
私が、
「傷つくのが勿体ないから最低限でしか着けたくないよ」と溢したら、
「指輪ってそういうものでしょう?」と笑って左手を差し出してみせた、その銀の輪。
外す理由がないからと、ずっと填めたままのそれは、綺麗ではあったけれど、やっぱり微かに擦れた痕があった。
「こうやって思い出が刻まれていくんですよ」
あぁ、そういう考え方もあるんだなぁと、私はそのときになるほどなぁ、と思った覚えがある。
私は、燈馬君の指輪のように、燈馬君に寄り添って思い出を刻んでいただろうか?
できる限りは側に居た。けれどそれは本当に、『水原可奈』という存在としてのできる限りだった。『燈馬可奈』として……妻としてではない。
お互いに納得してるからそれでいいと思ってた。でも思い出してみると、急に、羨ましくて、悔しくなってきた。
私は思い出を一緒に刻む機会を与えられていたのに、それをむざむざと捨てていたんだ。綺麗なままの指輪が、余計にそれを思い知らせる。
もっと早くに気付いていれば、こんな一年も遠回りしなかったのに。燈馬君を苦しめなかったのに。きっと、もっと楽しかったのに。幸せだったのに。
何度も開いては閉じてを繰り返し、折り癖が薄くなった紙をカサカサとまた開く。
並んだ名前をまた指でなぞる。
私は、未練がましく何度も何度もこうやっていたじゃないか。それが一番の証明じゃないか。
本当は、もうずっと燈馬君と一緒に居たかった。
『妻』になれて嬉しかった。
燈馬君が『夫』で嬉しかった。
苦さが胸に込み上げてくる。
何で私は意地を張って、自分の気持ちを我慢して、考えないようにしていたんだろう。
燈馬君の為だって理由をつけて。本当は、燈馬君もそんな私のために我慢してくれてたっていうのに。
さっきのキスを思い出す。
それだけじゃなくて、今まで親愛の気持ちだと思ってた軽いヤツもひっくるめて考える。
それには、本当に疚しい気持ちはこもってなくて純粋に友情しか入ってなかったか? と考えてみる。……そんなの、絶対違うに決まってるじゃん。
他の人に嫉妬して……燈馬君は私のだと見せつけたくて、そういう気持ちから始めたものだもの。
受け入れてくれて嬉しくて……燈馬君が好きで。だから、何度も出来た。文化がどうだか、なんて体の良い言い訳だ。
唇へのキスもそうだ。燈馬君に好きって言って貰えるといい、という下心が無かったワケじゃない。
もうずっと、私の結論は出ていたんだ。
ただ、自分で認めていなかっただけで。
そのせいで、燈馬君に対して煮え切らない態度を取っていたんだ。
…━━…━━…━━…━━…━━━━…
申し訳なくて。謝りたくて。
だけど、顔を合わせるのも気まずくて。
私は燈馬君の寝室の前に立つと、僅かに躊躇をした。
きっと、お互いに冷静になってから話した方が建設的だ。うまく行くだろう。そう解ってても、やっぱり謝るまでは気持ちは晴れない。
意を決してコンコンとドアを叩く。
けれど、中からは何も聞こえない。
でも燈馬君は玄関から出て行っていないから、この部屋に居るはずなんだ。
私は仕方なしに、ドアを背にして、その場に座り込んだ。このまま、ドアの向こう側に聞こえるように。……もしかしたら、寝ているかもしれないから、独り言のように、私は、気持ちを呟くことにした。
「ごめん。私、気付かないフリしてた」
声が、広い屋敷に反響せず、そのまま本の海に吸い込まれていく。
燈馬君からの返事は無い。
聞こえているかも解らないけど、私はそのまま気にせず続ける。
「気がついちゃったら、もう今のままの二人じゃいられないだなって、多分、無意識レベルでそう思ってた」
考えよう、仮定しようという頭が無かった。考えたらあっという間に解ったのに。燈馬君はずっと、それを解ってたから気遣ってくれてたんだよね。
「意識なんか改めてしなくたって、私達はもう家族みたいで姉弟みたいでそういう関係にならなくたって気の置けない関係のままだって、大丈夫だって、許されるって思ってたんだ。……燈馬君に甘えてたんだよね、私」
燈馬君が何も言わないのを良いことに、勝手に思い描いていた関係をでっち上げちゃって。
燈馬君が付き合ってくれてたからこそ成り立つ関係だったのに。
一方的に、燈馬君に負担をかけるだけの関係だった。私は、口では燈馬君に負担をかけたくないなんて言っていたのに。なんてバカだったんだろう。重荷になる方向性が違っていた。だから余計に、燈馬君を傷つけた。
「……沢山傷つけちゃってごめん……無神経でごめん……」
ごめん、ごめんね、と言葉が零れる度に、喉が狭まってくる。苦しい。胸が痛い。謝っても謝っても足りる気がしない。
そのうち、ぼろぼろ涙が決壊して溢れてくる。女って狡い。こういう時にいとも簡単に涙が出て来る。泣きたいわけじゃないのに、謝りたいだけなのに、勝手に。
気がつくと、謝る声に嗚咽が入っていた。ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら謝る様子は、まるでいたずらをして怒られた子どもだ。
許して貰えるまで泣き続ける、なんてマネはさすがにしたくない。我に返った私は、一生懸命に呼吸を整える。
……こんなに大騒ぎをしても燈馬君は出てこないから、もしかしたら本当に呆れちゃって、愛想を尽かされちゃったのかもしれない。
でも、もう、それでもいいと思った。
悪いのは私だ。ずっと気を持たせるような素振りで振り回してきたのは私なんだ。疲れちゃうのは当たり前だ。
「……でもね」
掠れる声で、思わず私の本音が零れた。
「やっぱり私、燈馬君が好きなんだ」
いつも冗談のように言ってたけど、そういう好きでは無くて。なんて言ったら伝わるのか解らないけれど。
「何にも知らないし、解ってないし、バカだし、自分勝手だし……ほんともう、呆れられても当たり前なんだけど……手遅れかもだけど……燈馬君の事、大好きなんだ……」
ホントもう、今更だ。
許して貰えるとも思えない。だって、ずっと苦しめてきたんだから。
でも、藁にも縋る思いで、自分勝手な願いをする。
「私、燈馬君の奥さん、やっても、いいかなぁ…………」
やっぱり、なんの返事はない。
そうだよね。
……こんなの、ムシがいい話だし……遅すぎるよね。
私は深呼吸をするように大きく吸って、大きく息を吐いた。いっぱい泣いたからか、目元はヒリヒリするし、胸も呼吸のしすぎで痛い感じがする。声も引き攣ったままだし、頭も酸欠でクラクラする。
まだ完全には呼吸は元に戻らないけれど、ずっとここに居座るワケには行かないから、なんとかよろけながらも立ち上がる。
これで、全部おしまい。
おままごとの夫婦ごっこも。
私の気がつくのが遅すぎた恋心も。
二人の友達としても関係も、全部。
全部、私が悪いんだ。だから、仕方が無い。
未練がましく、私はドアを一瞥し、手を置いた。
傷つけて、苦しませて、悲しませちゃって……本当ごめんなさい。
目を閉じて、私の気持ちが通じるようにと念を送った。瞬間。私はそのまま前に倒れ込んでバランスを崩した。
何が起こったのか、一瞬、訳がわからなかった。勢いよく、何かにぶつかった。そのまま支えられたから床に顔が叩きつけられることは無かったけれど、その代わり、大きな腕に抱き留められているのが解った。
ドアが開いて、私は倒れ込むように、燈馬君の胸に抱かれたようだった。
燈馬君はずっと、すぐ向こう側で私の話を聞いていてくれたらしい。何の物音も足音もしなかったから、きっとドアのすぐ側にずっと居たのだろう。
聞いていたなら返事の一つくらい寄越しても良いのにと、自分の所行は置いておいて私はちょっと毒づいた。
私が問答無用で押し入ってくるのを待っていたのかもしれない。だとすれば、そのまま帰ってしまうのは想定外で、慌てて出てきたというところだろうか。……なんだか、すごく可笑しい。
泣き疲れて、絶望して、真っ暗だった自分の気持ちがあっという間に色を変えていくのが解る。もう、すごい現金だ。バカみたい。
「僕の方こそ、いいんですか? 僕が水原さんの旦那さんで」
愛おしげに抱き寄せて、燈馬君は耳元でそう問う。私はもう、嬉しくて胸がいっぱいで何も言えなくなっちゃって、ただ何度も頷くことしか出来なかった。
……いいの? 私は燈馬君の奥さんやってもいいの? あんなにいっぱい傷つけたのにいいの?
請うように視線を向けると、燈馬君はにっこりと笑う。
「水原さんは知らないと思いますが、本当は僕、かなり嫉妬深いですよ。独占欲が強すぎちゃって束縛しちゃうかもしれません」
そんなの……知ってる。
意識してみたら、思い当たることなんていっぱいある。でも、そんな事を言ったら私だって嫉妬深いし束縛してる。だからあんな事を言い出したんだし。
「その割に相手にばかり合わせて自己主張をあまりしません。すぐに水原さんに選択権を委ねたり。逆に質問したり」
それも知ってる。
燈馬君は私に対して凄く甘いから何でもかんでも私次第にしてしまう。だから私は、それを逆に返せるくらいにならなきゃいけない。
だって、燈馬君が私を想ってくれてるのと同じくらい、私は燈馬君を想ってる。私だって、燈馬君の我が儘を聞いたりしたいことをさせてあげたい。
燈馬君は一言言う度に、私はうんうんと何度も首を縦に振る。まだ言葉が胸に詰まってしまっていて、なかなか思い通りに出てこない。本当に、許して貰えるなんて思ってなかったから。諦めてたから。一転したこの状況に、頭の中はごった返していた。
そんな凄い剣幕の私の様子に燈馬君は驚いたようで、眉根を寄せて困ったように笑っていた。
笑いながら、頭を撫でた。私が前に謝ったときと同じように、あやすように、そっと優しく。
「こんな男……凄く面倒臭いと思いますよ? それでも、水原さんはいいんですか?」
「いいの。……燈馬君がいいの」
ようやく言葉が出せるくらいに気持ちが落ち着いて、言いながらぎゅっと両手に力を込めた。
息をするのが難しいくらい、泣きそうに苦しくて、胸が締め付けられて……でも、すごく暖かくてずっと燈馬君に触れていたくて一緒に居たくて。
この感情の正体は、きっと『親愛』とは違う。『愛情』ってやつだ。……今更じゃなくて、これから積み上げていく感情なんだ。燈馬君と一緒に。
名前がついちゃえばあっけなく未知の物から身近な物になって腹に落ちる。
私は、知っていきたい。この感情も、それに付随するなにもかも。燈馬君が抱えている物であれば、全部知っていきたい。
「それでは、水原さん」
いつの間にか、燈馬君の手には私が持っていた指輪のケースが渡っていた。未だに入ったままの指輪を、燈馬君は恭しくケースから取り出した。
華奢な輪っかをそっと指で持ち、もう片方の手を、私に差し出してにっこりと笑う。
「僕と結婚してくれますか?」
折しも、今は六月で。私が馬鹿な思いつきを口走った日で。燈馬君の誕生月で。結婚式なんかももちろんしてなかったので。
ふと思ったのだ。
もしかしたら、このプロポーズを受けたら、ジューンブライドの御利益にありつけるのではないかとかそういう事を。そういうジンクスとかに傾倒しているつもりもないし私自身、信じると言うよりゲン担ぎみたいな心持ちなんだけど。
でも願いたい。誓いたい。
私はきっと、今一番幸せな花嫁なんだ。
「……うん、宜しく」
預けた左手の薬指に、大事に大事に仕舞い込んでいた指輪が填められる。傷の度合いは違うけれど、燈馬君と私と、おそろいの指輪。
これから先は、同じように思い出を刻みつけていきながら歳月を重ねていくんだろう。
そうして何年も何年も重ねていくうちに、回り道したことも諸々も、見分けがつかないくらいに紛れていっていつか笑い話に出来るようになるかもしれない。
私と燈馬君はもう一度、確認するようにキスをした。まるで誓いのキスをしているよう。
正真正銘、気持ちが通じてることををお互いに自覚しあってるから、余計にくすぐったい気持ちになる。
目を開けてそっと見つめ直すと、また燈馬君との顔の距離が近くなった。身体の距離も、境界線が無くなるくらいにすごく近い。
「あ、あの」
頭に血が上ってしまい、少しだけ怖じ気づいて、私はぽそっと呟いた。
「本当にイヤだったら実力行使に出るから……その……色々、気が回らないと思うけど……」
恥ずかしくて目を合わせているのがきつくて、きょろきょろと視線を移しながら言いあぐねているその意味を、燈馬君は雰囲気で悟ったらしい。
すごくいい笑顔で、私は彼の手足に捕らえられた。
「解りました」
色々理解されていると解ると物凄く恥ずかしい。早速実力行使に出たい気分になってくるのを必死で抑える。怖い、でも知りたい。その好奇心に意識を向けて、なんとか自分を鼓舞させる。
「お、お手柔らかに」
変にひっくり返る声で辛うじて私がそう言うと、
「頭に置いておきます」
燈馬君の唇が、言葉を紡ぎながら私に落ちてきた。
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